» ☆如月の桜(女神様のお墓も)☆
2015年03月27日

☆如月の桜(女神様のお墓も)☆

春分を過ぎ、日も長くなって参りました。旧暦でもやっと1月から2月に変わりました。

西行が歌 「願わくば 花の下に春死なむ 如月の望月の頃」 にあるように、旧暦では如月。3月25日(旧2月6日)で月齢4.9ですから、あと十日即ち4月4日辺りが、如月の望月(満月)の頃となり、今年もどうやら見事な桜(ソメイヨシノ)の満開となりそうです。

しかし、西行の時代(平安〜鎌倉初期)には当然ソメイヨシノはありません衆知のごとくソメイヨシノは江戸後期に江戸郊外の染井村で育成され、明治以降に爆発的に日本中を席巻したエゾヒガンザクラとオオシマサクラの交配で生まれたとされる、園芸品種であります。

西行の謂うさくら(花)は、吉野の桜だと思われます。残念ながら吉野の千本とも形容される景色は観たことが無く、憧れでございますが、千本どころではなくその種類も相当なものと聞いております。すこしずつ時季をずらして咲いていく、その景色の元で死にたいとの贅沢な願い通り、3月31日(新暦換算)に亡くなった法師の霊はさぞ満足だったろうと...

如月(きさらぎ)とはなんとも春を彷彿させるあでやかな響きの名前ですが、草木の張り出す月を現す草木張月が訛ったという説と、陰陽道でいう陽の気が更にやってくる、気更来(きさらぎ)が語源であるという説があるそうです。

御所、紫宸殿の右近の橘、左近の桜と称されますが、実は平安初期までは梅が左近にあったらしく、仁明帝(第54代、嵯峨帝の第二皇子)の時代に枯れた梅に変わって帝の好んだ桜が植えられました。梅は春告草、木花(桜もこう称されるが)初名草、匂草、風待草などの異名があります。

さて、さくら。語源は大きく二つの説が。

神の座(くら)に接頭語として、さおとめ・さなえ・さつき・さみだれに共通する田植えや耕作を意味する接頭語「さ」を付けたという説。その派生として穀物の霊である田の神を意味する「さ」を付けたとも。

山間の山桜の花を見て、田植え時期を決めたと言われる里の、いわば神聖な時を示す自然の暦であったと思われます。

もう一つが各地の浅間神社の祭神であります、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の「さくや」から「さく」に多数を意味する接尾語「ら」を付けたという説。富士の頂から種をまいて、花を咲かせたと言われる、大山祇の神の娘であり天照の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の奥様でございます。

 

大山祇(おおやまづみ)の神は、大綿津見(おおわだつみ)の神と並んで、伊弉諾、伊弉冉の神産みにより生まれた、それぞれが山と海の主宰神であります。この二神、記紀神話に於ける瓊瓊杵尊とその子、ホオリ(山幸彦:瓊瓊杵尊と咲耶姫の第3子)の妻の父親であり、初代神武天皇に続く系統に血を入れているという共通点があります。

木花咲耶姫は木の花(おそらく桜)の咲くがごとく美しい女性との意味と、捉えられ古事記での本名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)とされています。

瓊瓊杵尊の妻で、山幸彦の母(神武天皇の祖母)であり、また、父であり各地の山を統括する大山祇から、火山である富士山を譲られて祀られ、東日本一帯を鎮守することになった神さまでもあります。出産の状況から火の神様でもあったり、火山である富士を治める水の神だったりも。

いずれにせよ、神代の美女神様ですが、実はお墓があります。それも宮内庁が陵墓参考地として、被葬候補者が木花咲耶姫であると治定されております。それは宮崎県西都市の西都古墳群の九州では最大の前方後円墳で、女狭穂塚。5世紀前半中ごろ(420年前後)の築造とされております。

そして1月のブログでも紹介した通り、最初にお酒を造ったと言われる、この女神を祀った同市の都萬(つま)神社には「日本清酒の発祥の地」の標柱があるとのこと。

時代としては、かの半島では百済、新羅、高句麗の時代であり、倭の大群が半島に攻め入ったとされる時代であり、記紀では景行天皇~成務天皇、そして神功皇后や武内宿禰の時代であります。

九州最大の前方後円墳が美人の女神さんのって、非常に愉しいですね。しかも半島では既に記録としての歴史時代で、そこに攻め入ってるのですから、九州の勢力も無関係ではないはずです。

如月のさくらから九州の古墳まで話が飛びましたが、皆様さくらをお楽しみくださいませ。

花見

 


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