» 峻厳な神
2016年07月19日

峻厳な神

やっと梅雨明けもそろそろ。真夏の到来です。

このところ過度な雨やら暑さやらで異変とも感ぜられますが、やはり四季の移ろいに沿っていく日本の自然は体にも心にも優しく、たおやかな気が致します。

 

そんな日本の神様に随分触れて参りましたが、その反対にある峻厳な一神教に少し触れたいと思います。

 

その神の名はYHWHであり、一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラムに共通の神であります。

 

ユダヤ教の聖典が所謂旧約聖書であり、キリスト教ではそれに新約聖書が加えられます。最も遅く成立したイスラム教では、旧約聖書は重要な啓典の一つであり、ローマ無きのちの地中海でイスラムの海賊(ビジネスとしての)がイタリア半島のキリスト教徒に対し、殺戮と略奪そして奴隷とすべく拉致を平然と行った理由として、同一の聖書の解釈が異なる異教徒に対する措置として無神の民以上に残虐になれたことが挙げられます。

いわば近親憎悪でしょうか。

 

さて現代キリスト教では固有名詞ではなく、主または神(英語でGod,ラテン語でデウスとなり、日本でも禁教以前はキリシタンにはそのまま呼ばれていた)と普通は呼ばれ、イスラム教では固有名詞では伝わらず、アッラー(但し、アラビア語の“アッラー”は唯一全能である神に対してのみ使われる神を現すアラビア語で、固有名詞ではなく、したがって日本人が「アラーの神」などと茶化すのは非常に冒涜的なことである)と示されます。

 

ついでに申し上げれば、イエスが会話に使っていたと推定されるアラム語で神を指すELは、ニュアンスや表音としてアッラーに近く、同様にヘブライ語において神を指す様々な言葉“El”や“Elah”、また賛美形あるいは複数形である“Elohim”などにも当てはまるのは全てが同じ起源を持つセム語系であるからでしょう。

因みにこのイエスが活躍したローマ帝国時代のユダヤ属州ではヘブライ語はすでに口語として使われる機会は少なくなっていて、アラム語が普遍的に話されており、イエスもアラム語(のガリラヤ地方方言)を話していた可能性が大きいようです。

イエスの最後の言葉として、マタイ及びマルコの福音書に残る「Eli Eli lema Sabachthani: エリ エリ レマ サバクタニ」はアラム語。

 

この神の名を、直接呼ぶもしくは語ることは基本的になく、上記の様に“神”とされます。その理由は元々の旧約聖書を現した古代ヘブル語のそれを、BC3世紀頃に当時のユダヤ人が使っていた70人訳聖書と呼ばれるギリシャ語訳(70人の学者が訳した)の誤訳が原因のようです。

即ち、本来の意味が「YHWHのみ名を冒涜する者は必ず殺されなくてはならない」を「YHWHのみ名を呼ぶ者は必ず殺されなくてはならない」と誤訳してしまったことによるものです。

 

旧約聖書というのは、キリスト教側からの表現であり、キリスト(メシアとしての)が誕生し新たに神との契約を交わした故に、十戒で有名なモーゼ(出エジプト記)と神との契約は旧い契約という意味で、旧約聖書と呼ばれます。

 

大乗仏教の徒が、部派仏教徒を小乗仏教と呼ぶのを彷彿させるエピソードではあります。

 

さて、ユダヤ教が一神教として成立し始めたのは、その誕生からではないようにも思えます。

BC587もしくはBC 586年、新バビロニアに滅ばされたユダ王国はダビデ王朝樹立以来400年以上にわたる歴史を閉じ、ユダの人々はバビロニアに連れて行かれ「捕囚時代」が始まりました。

バビロニアはその後数十年後にメディアによって滅ぼされ、すぐそのあとにアケメネス朝ぺルシアが西アジアの覇権を握ることになります。

ペルシア王キュロスの宣言により、バビロニアに連行されていたユダの人々が解放されエズラやネヘミアといった預言者を中心にエルサレムに帰還し、バビロニアに破壊された神殿を再建。

 

ペルシア時代のユダは「イェフード」と呼ばれており、のちにこれがヘレニズムを経てローマ時代までには「ユダヤ」と呼ばれるようになり、そこに住む人々のうち特にユダヤ教を信仰する人々をユダヤ人と呼ぶことになったようです。

 

西アジアの国々はシュメールにせよ、バビロンにせよ多神教でありながら、国家(都市)神としての固有の神格を崇拝しており、日本の古代との類似性を感ぜられます。

というより、宗教はもともとローカルな信仰なので、一つの部族の中で一つの神を信じる拝一神教は割に普遍的なのでしょう。戦争で勝者が敗者の神(神像)を自国に持帰るというようなこともあります。それは他の部族は別の神を信じていることが前提であり、部族が統合されると神も統合されてきます。

その中の一つの都市国家として、YHWHを国家神として崇拝していた古代ユダヤの民も同様に他国家の神々の存在を前提としていたと考えられています。

新バビロニア(マルドゥク神)やそれ以前のアッシリアの政策として、大帝国の市民としての意識を高めるために、新たに併合した領土の住人を、他の土地に強制移住させ、逆にその土地には他の地域の住人を強制以上させ、生来の土地(神)との結びつきを弱めて、民族のアイデンティティを希薄にする意図のもとの政策です。

実際に北イスラエルの民は他の民族に同化してしまい、のちにはバビロニア人もアッシリア人も歴史から消えてしまい、こうして他の西アジアの神々は大方廃れてしまいました。

 

それに対してイスラエルの神YHWHを崇拝するユダヤの人々が、最初の一神教として本当の意味で誕生したのは、その神殿を失い民族存亡の危機に直面したバビロン捕囚以後と考えられます。

それを可能にしたのは、一つには十戒に代表される厳格な律法遵守による同化の拒否。唯一絶対神から選ばれた民という信念・信仰によるもの。さらに神殿が破壊されるという不幸もしくは惨事が、民の不信仰故に神からもたらせた罰だと捉えること。誤解を恐れずに言えば、そういう方向に民族を先導した当時の預言者と呼ばれた人々のチカラによるものと思われます。

 

具体的には第二イザヤと呼ばれた氏名不詳の預言者が、YHWHはバビロニアの守に敗れたのではなく、YHWHとの契約に背いたイスラエルの民を罰したと説き、バビロニアに捕囚されていたユダの人々が、バビロニアの神への信仰や偶像信仰に陥るのを阻止し、YHWHはイスラエルの神ではなく世界に唯一の神であるという、いわば革命的な発想で信仰をかろうじて継続することができたのだと考えられています。

 

 


計測器校正サービス
スマートフォンからもご覧いただけます。
メールでのお問い合わせはこちら