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2017年09月04日

神様の格式③明治以降

さて、政治権力は平安から、鎌倉、室町、桃山、江戸と貴族に代わり武家の時代となりますが、基本的には神社、神祇伯個々の栄華衰退はあるものの、格式を含めて大勢に変化はなく明治になって大きく変化しました。

律令体制とは中央集権が大きなテーマとして、対外(具体的には新羅・唐に対する)的な挙国的軍事態勢が取れるために、兵士としての人民と経済基盤としての税制を支配するために、当時の中国の体制を元に敷かれましたが、明治政府は更に苛烈な中央集権施策により、この宗教界までもが大きな管理の対象となります。

以前にも申し上げましたが、幕末の尊王攘夷エネルギーは徳川幕府を倒しても、更にくすぶり続け明治政府等の官員になれなかった、極端な国学者を中心に廃仏毀釈の大嵐が吹き荒れました。
そのあおりを受け、神仏が習合していた形態は大きく崩れ、中心であった仏教寺院の僧侶は多く神主に代わりましたし、神社自体も大幅に減少し、その一方で尊王攘夷運動で歴史上尊王(勤皇)派と位置付けられた人物(臣下)たちが新たに神となりました。

正式には近代社格制度と呼ばれて、明治政府が新たに神社に格式を与えたものです。言い方を変えると神社は国家による非常に厳しい管理を受けることになった訳です。
それに応じて社格も律令の名称を踏襲して、「官社」と「諸社」に大きく分けられ、官社には97社が選択され官幣社(神祇官が祀り官幣大社、中社、小社に分類)と国弊社(地方官が祀り国幣大社、中社、小社に分類)に分類されます。
諸社は府県社、郷社、村社に分類され、それぞれの、府(東京、京都、大坂)県(北海道、樺太庁を含む)等の地方から奉幣を与えられました。
前述の歴史上の勤皇的人物(臣下)などは、分類外として「別格官幣神社(扱いは小社レベル)」という制度が導入されました。
以前に紹介した楠正成を祀る神戸の湊川神社などがこれに当たります。
更に村社にも列せられない神社を無各社とし、終戦時には官社218社、諸社49,715社、無格社59,997社であったと記録されています。

敗戦によって政教分離による神社の国家管理廃止に伴い近代社格制度は廃止され(昭和21年2月2日)、以降現在に至るまで当然社格は公的には分類されていません。但し、昭和23年に別表神社として神社本庁が包括している一部の神社に特別な扱いをすることとなりました。
実際の効力などは神職の人事に関する規定(宮司に必要な格式だとか、権宮司を置ける条件だとか)のみですが、選定基準は・由緒、施設、常勤神職数、経済状態、活動状況、氏子数などとなっており、当初は旧官国幣社のみだったのが、現在は300を超える神社が対象となっています。