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2017年09月04日

神社の格式①延喜式内外

9月に入り、関東は例年より空気が秋の色を含む気配が早いような気もします。
夏至を既に2か月近くも過ぎ、秋分に近くなって陽の高さ具合も視野に入ってくるせいなのかもしれません。
関東は夏の間連日の雨で寝苦しい夜は無いにせよ、農作物の実りには陰りを落としております。

このブログでは幾度か日本の神様や神社をテーマにして参りましたが、今回は神社の格付けについてです。

大きな神社には由緒書きや、石柱にその神社の社格が示されていることが多いですね。例えば○○国一の宮とか、旧官幣中社といった類です。更には正一位△△稲荷という幟ですとか。

それぞれに時代や時の権力により神社、そして神様自身も挌付けされておりまして、まず古くからでは式内社と式外社(しきげしゃ)という格付けがあります。
これは平安中期の延長5年(927年)に成立した、延喜式の9巻と10巻(神名帳と呼ばれます)に記載された神社か、されなかったそれ以外の神社かということです。
延喜式自体は律令官制における格式(施行細則と捉えるのが判りやすいかも)であり、醍醐天皇が時の宰相藤原時平に命じて編纂を開始致しました。時平といえば、天神様となった菅原道真のライバルであり、道真大宰府左遷を画策した人物とされており、道真(後天神様)の祟りで39歳(太政大臣)にて病死したとされる敵役であります。時平死後後に藤原氏主流となり史実として確認される最初の関白となる、弟藤原忠平が完成させました。

これに記載された神社は全国で2,861社、鎮座します神々の数は3、132座でございます。

この式内社にも格付けがございまして、まず官幣社と国弊社でそれぞれ大小があります。
官幣社とは、朝廷で神社などを主管する官である神祇官から幣、即ち幣帛を毎年2月の祈念祭に受ける神社であることを示します。幣帛とは祭祀において神に奉献する神饌以外のものを言います。
具体的には当時貴重であった布、衣服、武具、神酒などであります。

国弊社とは神祇官に代わって国司から幣帛を受ける格式の神社となります。今でいえば国から受けるか県知事から受けるかという違いでしょうか。
現在の感覚からすれば、国幣という方が何となく国立みたいな気もしますが、官は神祇官を示し国は国司をしめすということですね。

時代的にその少し後の平安後期~鎌倉時代に成立したとみられるのが、一の宮という格式でこれは旧国内で最も有力(社格が高い)とされる神社で、各(旧)国にあり場合によっては二宮、三宮まで、場合によっては四宮という地名に残っているところもあります。
起源としては国司が国内諸神社を巡拝するに当たり一番先に参拝する神社ということのようですが、これは上記の官幣大社のように朝廷や国司が決めたのではなく、諸国の信仰が厚く由緒が深い神社が自然発生的に序列化したもののようです。従って一の宮の祭神が必ずしも記紀等の国の正史に記載の、いわば全国的(当時でいえばグローバル?)に有名な神様とは限りません。


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