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2018年05月11日

ヤマトタケル② 祀る一宮

さて、神社の件。
ヤマトタケルを主神とする一之宮は2社ございます。
まずヤマトタケルの後裔とされる氏族として挙げられるのは、以前北近江散歩で紹介した犬上氏(君?朝臣?)と建部氏(君・朝臣)、近江建部氏、和気氏(公)等であります。
犬上氏、建部氏ともに、ヤマトタケルの妃、垂仁天皇皇女とされる両道入姫皇女(ふたじいりびめのひめみこ)の子とされる稲依別王(いなよりわけのみこ)の後裔とされます。
同母弟に第14代仲哀天皇があり、同じく同母弟に稚武王(わかたけるのみこ)があって、近江建部氏、宮道氏の祖とされます。

この建部氏の祀るのが近江一の宮の建部大社でございます。
その社伝によれば、ヤマトタケル死後、両道入姫皇女が稲依別王と共に住んでいた(神勅によるとの説も)神埼郡建部郷(現東近江市五個荘付近の箕作山)の地に、ヤマトタケルを建部大神として祀ったのが創建とされるそうです。
天武天皇4年(675年)に近江守護神として、現在地(大津市瀬田)に遷座され元の山麓には建部大明神を経て建部神社が建てられています。

もう一つが和泉一宮の大鳥神社で、おとりさまの熊手で有名な、全国に展開する鷲神社をふくめた、大鳥神社の本宮であります。
延喜式神名帳に名神大社として記され、本殿の大鳥造は出雲大社造に次ぐ古い形式といわれています。

祭神は日本武尊と大鳥連祖神。実は中臣氏の祖神でもある天児屋根命と同じで、元々は大鳥氏の氏神であったものが、大鳥という名称と日本武尊は死後白鳥となって飛び立ち、河内に降り立ったという神話と結びついたと想像されます。

社伝によっても大和琴引原で留まり、更に飛び立って河内古市郷に降り、最後に大鳥の地に舞い降り、その夜に一夜にして樹木が生い茂り、千草の森と呼ばれたことから、その地に社を建てて祀ったとされています。
この大鳥連は代々本社の神職を継いでいきますが、摂関家の番頭であった程度しか記録が無く、中央豪族としての活躍も明確ではなく、かといって和泉の地は機内にあり、研究対象としては面白いかもしれません。

直接ヤマトタケルを祀っている訳ではありませんが、熱田神宮も尊に関係の深い神社ではあります。三種の神器の一つ、草薙の剱であります。
元々は素戔嗚が倒したヤマタノオロチの尾から出てきた神剣であり、天照大神に献上され、天孫降臨に際して賜り地上に還ったものです。
ヤマトタケル東征の前に伊勢の倭姫より賜り、焼津の地方名の由来にもなった、火をつけられた野の草を薙いで防いだところから草薙と名付けられました。伊吹の神への対決を前にこの剣をミズヤ姫(尾張氏)の元に残していったために、神の祟りを受け亡くなったともいわれております。

その後熱田神宮に社を建てて祀られておりましたが、天智7年に僧、道行に盗まれ取り返されたうえで宮中に置かれましたが、天武帝の病気がこの剣の祟りと判り、再度熱田神宮に祀られることとなり、現在に至ります。

ヤマトアケル③ アズマの神社に続く