筆者は趣味と実益を兼ねて、地方に行くと(出張・旅行)郵便局で千円貯金をし、スタンプを捺してもらうということを長年続けています。
郵便局によっては、絵入りのなかなか面白いものもありますが、これは古い通帳でなくてはならず、窓口の営業時間も限られており、平日という限定もありやっと81件に達しました。
先週栃木市のお客様を訪問した際に、合戦場という珍しいというか、興味津々の地名があり、合戦場郵便局の前を通りました。むずむずと虫が騒ぎ、帰りに同行の皆さまに少しだけ時間を戴き寄ってみました。
東武線の駅名も合戦場であり、合戦場小学校まであるのですね。
で、局員さんに地名の由来を伺うと、資料を戴きました。この郵便局は明治5年の開局でなんと140年。小学校は明治6年の創立で、創立当時の名称は淑慎学舎、明治14年に合戦場小学校に改称されたとのこと。
さて名前の由来となった合戦は大永3年(1523年)の宇都宮城主、宇都宮忠綱と皆川城主、皆川宗成の激戦が現合戦場駅西部であったことによるそうです。
時代的には室町後期10代将軍足利義植の頃で、この2年前の大永元年に武田信玄が生まれ、翌2年には柴田勝家と千利休が生まれています。
全国で合戦場という地名は2か所プラス1のみ。もう一か所は長野市合戦場。こちらは源平時代の1181年に平家方の越後の城氏がこの元々の地名である横田が原に攻め込み、木曽義仲に敗退したところから後年命名されたものです。
もう一か所のプラス1は、地名ではなく合戦場のしだれ桜という桜の名称で、福島県二本松にあり、こちらは前三年・後九年の役で八幡太郎源義家と阿倍の貞任の合戦に因み、地名では二本松市東新殿字大林というところになります。
さて、本郵便局のスタンプは刀を二本差し違える、地図の古戦場マークでした。
なお、この地は日光例幣使街道の栃木の次の宿場となっており、江戸時代は往路に用いられ、復路は今市から日光街道を通り、東海道を利用したそうです。
この例幣使、格式は4位と高く、当時は大名でも5位が殆どでしたから、やたらといばる。しかも当時の公卿の収入は非常に低いものでしたから、お供も実際には○○の大掾やら少掾といった職位は名ばかりの実際には京の出入り商人であり、とんでもないのが多かったようです。
籠に乗り、金を要求し駕籠かき人足が渋ると籠を揺らし、わざと転げ落ち公儀のお裁き云々と言いがかりをつけ、村役人が詫びて金を渡して納めるといった話が、あちこちに残っており、ゆすり・たかりの語源となったといわれています。
さて、この合戦場郵便局の向かいには、日立製作所の創業者である 小平(おだいら)浪平氏の生誕地という碑がありました。
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