それほどではなく、いよいよ新暦の10月に入りました。
二十四節気の「寒露(かんろ)」も来週末辺り、
鳴く虫の音も賑やかに秋の気配が深くなっています。
実際には旧暦の十月の呼び方ですが、神無月という風流な呼び名の月でございます。
通説には日本中の八百万の神々が、この月に出雲大社にお集まりになるために、神様が不在になることから呼ばれたということです。
他にも伊弉諾の命が亡くなった月であるという説や、無を「の」と読み
神の月であるという説。
実際には翌月の新嘗祭のための新酒を醸造しだす月、すなわち醸成(かもなし)月(つき)というのが有力なようです。(出典「旧暦で読み解く日本の習わし」大谷光男監修)
通説に従いますと、出雲には八百万(やおよろず)の神様が集まりますので、ここだけは「神(かみ)在(あり)月(づき)」となるわけです。
で、出雲。出雲大社は当然出雲一の宮、国譲りの大国主神(大穴持(おおなむちの)命(みこと))が祭神で古代には杵築大社と呼ばれ、明治4年に現称の「出雲大社」改称とされました。
代々出雲国造家(古代出雲の支配者である出雲氏の直系)が宮司を務め、現代は84代千家尊祐氏でありまして、今度高円宮典子女王がお嫁ぎになる千家家のご当主であります。
出雲国造家なのに、なぜ千家などとお茶の家柄のような苗字であるかですが、丁度南北朝時代に54代当主国造孝時にその子息3兄弟があり、当主贔屓の末子六郎を継がせようとしたが、当主の母の意向で病弱な長兄三郎を当主としましたが、やはり病弱で代官として五郎に職務を任せ、そのまま国造職を五郎に譲ることとしました。
それに六郎は猛烈に反発し軍勢を集め紛争状態に陥りました。当時の守護代の仲介により神事などを等分することで和解し、五郎は千家氏、六郎は北島氏と称して並立して明治に至ります。
明治になって千家氏は出雲大社教、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して別れ、出雲大社の宮司は千家氏が担うことになりました。
私事ではございますが、わたくしの行きつけの新橋のお店でたまにご一緒する、音楽教師がこの北島さんの一族で、非常に穏やかな紳士でございます。
3年ほど前に家族旅行で出雲大社をお参りし、この北島家の出雲教(大社本殿に向かって左)の神社にもお参りしましたが、御庭の中に瀧がある素晴らしい景観でありました。
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