明けましておめでとうございます。
遅くなりましたが、本年も倍旧のご愛顧のほど、お願い申し上げます。
10月末から1.5か月ぶりの更新となり、心苦しい限りではございますが、ご寛恕のほどを。
今年は関東では異常なほどの暖かで、穏やかなお正月となりました。筆者の実家の札幌でも雪の積もっていないお正月との母からの電話でした。
8月末に季節ものとして颱風を取り上げましたが、今回は『風の神さま』についてで、ございます。
風は気象用語として、同義語としての気流として、大気の流れを意味しますが、厳密には水平方向の流れをのみ意味し、垂直方向には上昇気流もしくは下降気流が正しいようです。
自然現象としての風は、目に見えないということもあり、日常的ということや、嵐自体を指すこともあり、雷同様に神格化されていたようです。
雷についてはその瞬間的な破壊力と相まり、ゼウスやインドラの武器であったり、天神様(菅原の道真)の祟りといった道具的な具合が多いような気もします。
最古の文明であるメソポタミアでは、都市ごとに崇拝される神はその都市が有力なほど、神の力も強く、神々の力は変遷していきます。初期メソポタミアでは非常に有力だったシュメールの主神エンリルが、風と嵐の神であります。エンリルは疫病をもたらし、干ばつを起こし更に大洪水により滅びをもたらします。
旧約聖書のノアの方舟伝説の原型でございます。
ず~っと下ってギリシアではアネモイと呼ばれる神々があります。
北風は翼のある老人で冬の冷たい風をもたらすボレアース。晩夏と秋の嵐をもたらす南風ノトス。季節に拘らず暖気と雨を運んでくる不吉な東風エウロス。
そして最も出番の多いのが西風ゼピュロスで、春を告げるさわやかな豊穣の風を運びます。虹の女神イーリスと、春の花の女神フローラの夫でもあり、ヒアシンスの花の物語では、アポロンとスパルタの王子ヒュアキントスの愛を張り合ったあげくに恋に破れ、円盤競技の円盤をヒュアキントスに風でぶつけて死に至らしめたり、エロスとプーシュケの物語では、プーシュケをエロスの元に運んだりする、重量な脇役であります。
ボッティチェリのヴィーナス(ギリシャ神話ですので、アフロディーテが正しいと思いますが)の誕生では、左側にフローラを抱き頬を膨らませて強風を起こし、陸地に近ずけようとするゼピュロスが描かれています。
インドではリグヴェーダには、インドラと並んで三界(天・空・地)のうちの空界を治めるヴァーユ(サンスクリット語ではワーユ)が風の神さまであり、仏教に取り入れられて、風天となります。和製ヒッピーを指すフーテンとの関係は?よく判りません。
この神様、わたくしの個人的に大好きなラーマヤーナに順主役的に大活躍する、猿将ハヌマーンの父神でもあります。
古代マヤの嵐の神にフラカンがあり、これは古代マヤ語(Jun Raqan:一つ脚(のもの)を意味する)を語源とする風・嵐・火をつかさどる創造神であり、ハリケーンの語源ともなっています。
さて、日本の風神さまです。
古事記では伊弉諾・伊弉美の神生み神話からシナツヒコが。
日本書紀(第6の一書)によれば、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(シナトベのミコト)またの名を級長津産命(シナツヒコ)が生まれたとされ、この神様が風の神さまでございます。
この風の神は奈良県は平群郡(現生駒郡三郷町)にある龍田大社に主神、天御柱命(アマノミハシラ)がシナツヒコのミコトであり、もう一柱の女神が国御柱命(クニノミハシラノミコト)イコール級長戸辺命として祀られております。
縁起としては、同社の祝詞によれば崇神天皇が、凶作・疫病に対する自らの祈願に対して夢見でこれらの2柱の神を龍田の地に祀れとの神託があり、建立に至ったというもの。
正史としては日本書紀 天武帝4年4月10日に勅使を遣わせて、風神を龍田立野に祀り、大忌神(水神:若宇加能売命)を広瀬河曲(北葛城郡河合町)に祀ったとの記述がございます。
この龍田大社、延喜式にも大和国平群郡に「龍田坐天御柱国御柱神社二座」と、神名帳に名神大社二十二社の一つに挙げられている古式ゆかしい神社であります、
毎年七月の第一日曜には風鎮大祭が催されます。
岐阜県中津川市に坐す「風神神社(かざかみ)」は平安時代に上記の龍田大社から分霊を勧請した神社であり、奈良県斑鳩の龍田神社も恐らくそうであろうと思いますが。
伝説によれば、一六歳の聖徳太子が、法隆寺建設地を探して平群辺りを巡っていたところ、白髪の老人が突然現れ、「東の斑鳩の地こそ、仏教を広めるに善い。私が守護神ならん」とのお告げにより、龍田神社を建立したとのこと。
聖徳太子は天武帝より数世代前ですから、この風神様は元々大和に天皇家と並び興っていた古代豪族の祀った由緒ある神社なのでしょう。
最後に風の神様(固有名詞ではない)の伝説を一つ。
このブログに何度か登場の、富士山の女神 木花咲耶姫命のお話でございます。
富士山を祀る浅間神社は、景行天皇時代に日本武尊命が駿河の国で野火攻めにあった際に、大神の加護にて災いから逃れた神恩に報いるために奉斎された神社で、富士山そのものをご神体としている訳です。
その最初に祀られた地が現在の「山宮浅間神社」であり、全国の富士山本宮大社の総本宮1300社の中の最古の史跡として、古い自然信仰の形態を色濃く残し、本殿は無く通常なら本殿にあたる場所に遥拝所(磐境)を設け、そこから神奈備(かんなび)た富士山を遥拝し、祭祀を行ったとされます。
この山宮浅間神社に本殿が無いことの理由についての伝説であります。
浅間神社の神様木花咲耶姫命、日本神話第一の美人であります。この姫命に風の神様が恋をしてしまい、盛んなアプローチを繰り返すのですが、姫命は乱暴者の風の神様が苦手で、浅間神社から逃げ出し山宮浅間社に身を隠してしまいました。
フラれた風の神様、これを根に持って山宮に立派な社殿を建てようとすると、大風を吹いて腹いせに壊してしまうというお話です。
実際には、大同元年平城天皇の勅命により、坂上田村麻呂が現大宮宣言神社建立地に壮大な社殿を造営し、山宮から大神を遷宮し現在に至っています。
絵画としては、宗達・光琳などによる風神雷神図で雷神と対になったり、京都の三十三間堂の千手観音の左右の彫刻だったりで風袋を担いだ鬼の様子で表現されます。
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