初めて聞いたのが、もう15年以上前の千歳空港の売店であったと、鮮明に記憶しております。ただ、それが札幌在住の亡父の葬儀のあとの帰宅時か、出張帰りであったかまではさだかではありません。
次に耳にしたのが、そのあと利用した某航空会社のCAさん。ちょっと派手目のお化粧と顔立ちで、この航空会社のCAさんには珍しいキャラクターだと、記憶しております。その後も国内線にはこの会社を主体に何度も利用しておりますが、後にも先にもこれ一回だけですね。
それは「よろしかったですか?」という念押しの問いかけ言葉です。
違和感がありましたが、耳にしたときにはその違和感がどこに由来するか、判りませんでした。
普通は、「宜しいでしょうか?」とか「宜しいですか」で済む筈なのですが、何故に過去形っぽい?文法的に以前に、この言葉はおかしいでしょう
某コマーシャルで父親が次男坊らしき男の子に「マジって言葉は江戸時代からあるんだ。」なんて説明してるのが、ございましたが確かに江戸時代の戯作だかに読んだことがあります。
わたくし、20代のころに一回り上の先輩に「マジっすか〜?」と発言して窘められたことを鮮明に覚えており、古典にそれを見つけてちょっと優越感に浸った。但し余り上品な言葉ではないのは間違いない(笑)
最近目にした本で、NHKの職員向けの時代考証を文庫本にしたというのがあります。大河ドラマをはじめとする時代劇の言葉やら、モノやらがその時代背景や、資料として違ってないかを考証するという興味深いものです。
時代劇といっても、日本史で舞台になりそうなのは所謂ちゃんばらという、江戸時代が一番多そうです。これは放送・映画というメディアのみならず、小説でも同様です。
まあ娯楽小説であればあまり気にする必要もないのかもしれませんし、資料といっても言葉に関しては現代の様に口語文でもなし、十辺舎一九や山東京伝などの戯作で会話部分がそうだろうみたいな感じでしょうか。
江戸時代と謂っても、天正18年(1590)八朔の家康江戸入府から、慶応4年(1868)2月の慶喜の江戸城退去まで278年ございまして、風俗、食物、地理、言葉も随分違う筈です。
ましてほぼ1万年と謂われる縄文時代の変遷は気が遠くなりそうですが、蒸気機関に代表される産業革命〜IT革命を経た現代などに較べると、流れや変化はゆったりしていたのでしょうね。
縄文まで遡ると、もちろん残っている文献資料などはありませんから、謂ってみれば有史以前。考古学の世界でしかありません。従って言葉などは想像もしようがなく、住居・食べ物・道具・埋葬様式・人骨などの残渣で統計的に推測するしかないわけです。
アイヌの音曲や、古代ケルトの吟遊詩人のバラードのような形でも残っていれば楽しいのですが
さて、話し言葉とすれば、地口というのは所謂町民の日常会話。これだって江戸城入府に家康や家来集に付いてきた岡崎やら駿府の町方やらお百姓の二男坊や三男坊。一大城郭都市が出来上がるまでに、近在だけでなく三代将軍家光の時代にも問題となっていた、関ケ原浪人や改易になった諸藩の浪人。現在のような情報の流通がある訳もなく、各地の方言、ヒエラルキー間の言葉の差異などは多種多様。
江戸の共通語が町民の間、城内の大名、旗本の間で出来上がるには、随分紆余曲折があったと推定されます。
そういう意味では、戦後でも随分言葉が変化しているらしいのは間違いなく、現代でも新しい言葉はどんどん新しい業種や外国語経由で生まれ、廃りを繰り返しています。
でも、冒頭の言葉がその後航空会社のCA(昔はスチワーデスなどと小粋な呼び方がありましたが)さんが誰も使わないのは、やはりそれなりに尋常ではない言葉であるとの認識がある所以だと、思います。
最近よくくる電話によるセールスに「○○さんのお宅で宜しかったでしょうか?」という問いかけが多く。それだけで信用できない連中と感じるのは、わたくしだけでありましょうか?
そういえば「〜であります。」というのは旧帝国陸軍の語法であり、元は長州弁。明治初期の陸軍が長州出身者中心だった名残りであり、海軍士官は絶対に使わなかったとのことです
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