「♪つぅらぁいぃ恋なあらぁ、ネオンの海にぃ」で始まるこの唄。
カラオケは結構好きです。年期も入っております。8トラックのカラオケスナック時代からの愛好者でございますが、さすがに娘の様に一人カラオケまでは行けない。
当然昭和の歌がメインになりますが、なかでもこのフランク永井さんの「夜霧の第二国道」も定番の一つです。
東京都内で勤務を始めたころに(内幸町でした)、住まいは横浜の保土ヶ谷でありましたが、夜の接待が終わり終電が過ぎた後のタクシーはもっぱらイチコクか、東名、第三京浜経由でした。
一般に京浜地区に暮らす人たちは、この東京~横浜間の道「国道1号」を第二京浜もしくはニコク、「国道15号」をイチコクもしくは第一京浜と呼びます。
全国に国道は全部で464あります。
1号から始まり58号。以降番号は途切れて101号から507号まで。
R1即ち国道1号はお江戸日本橋から大阪市北区の梅田新道交差点までの、総距離774.4㎞(実際の現道は543.2㎞)と日本で3番目に長い国道で、旧東海道(江戸~京都)から京街道(京~大阪)をほぼ踏襲しております。
国道2号は大阪梅田の1号の終点から福岡県北九州市門司区老松町までの旧西国街道(山陽道:京都~九州で本来は大阪はバイパスされ神戸に)で、3号はその先を熊本など九州西岸を南下して、鹿児島市に至る道であります。
4号はお江戸日本橋を起点に白河~福島市から仙台に至り、更に太平洋岸を北上し、青森に至る総距離887㎞の全国一長い国道であり、5号は海を渡って函館から倶知安~余市~小樽経由で札幌に至る、函館本線に平行した道であります。
6号はまたお江戸日本橋に戻り、水戸街道即ち常磐道経由の太平洋岸沿いに仙台に至り、7号は新潟市中央区から、青森に日本海側を北上、8号はこの新潟から京都市下京区の烏丸五条交差点まで、富山~金沢~敦賀~彦根を経由する、北国街道と琵琶湖の東岸を走る道です。
9号はこの8号の終点を起点として西北に福知山まで上がり、そのまま山陰を経由して下関に至ります。
10号は皆様の予想通り、門司を起点とし大分~日向~宮崎と九州東岸を経由して鹿児島に至りまして、これで大方札幌から鹿児島までの太平洋側、日本海側を網羅した国道網となり、以後は地方どうしを結ぶ道路という位置付、そんな印象です。
10番台で日本橋を起点とする道が、いくつかございまして。まず千葉市に至る14号であり、15号が横浜に至る冒頭のイチコク、第一京浜と呼ばれる道です。
更に17号は新潟に、20号は長野に至る道となります。
この現15号は横浜市神奈川即ち江戸時代に東海道最初の宿場神奈川宿に至る、ほぼ旧東海道であり、戦前は明治1号国道として日本橋から横浜港に至る道として制定されました。
現在は品川以降は、京急電鉄とほぼ平行する感じで、品川宿(現北品川駅付近)から生麦などを経由して京浜急行線の神奈川駅を超えた青木通り交差点で1号と合流し、後の旧東海道の行程は1号となって大阪まで至ります。
対して現1号は明治国道2号と呼ばれました。昭和27年12月施行の新道路法による路線指定で現行になっても、その呼び名を踏襲されて、現在もニコクとなります。
日本橋を所謂中央通りである東海道(現15号)とは直角に永代通りを西向きにスタートし、東京駅の北側を、JRの高架を横切り大手町の交差点を左折。日比谷通りから日比谷公園手前を内堀通りに右折して、桜田門の警視庁前を左折して桜田通りを南下。
霞が関の官庁街を突っ切り虎の門から神谷町を通りこして、左側に東京タワーを見て三田二丁目を左折し、慶応大学正門前を通過して、白金から高輪台。五反田駅北側をJR山手線と交差して桜田通りから第二京浜と呼ばれるようになります。
戸越辺りをひたすら南下して多摩川を渡り、京浜急行を挟んで次第に東海道に近づいて、最後は神奈川で15号と合流して、保土ヶ谷・戸塚と旧東海道を西に向かいます。
日本橋から東京の山手側を通るこの第二国道に夜霧が降り、バックミラーに、愛しい人の顔が映るという、「有楽町で逢いましょう」のヒットから、「東京午前三時」と併せて東京ラブソングの三部作としてヒットしたこの歌、おじさんたちのカラオケでじっくり聴いてみてください。
何気に昭和の東京の粋な気分が・・・。
国道にはいろいろな面白いエピソードがあります。又の機会にご紹介したいと思います。
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