年内節分と雪の華 | 株式会社古河電工アドバンストエンジニアリング
2018年02月02日

年内節分と雪の華

明日は節分で、当然明後日は立春でございます。
スーパーに加え、ブルーやら、レッドと形容された1月晦日の満月は、旧暦では12月15日の望月となります。皆既月食でもございましたね。

従って今年の節分は、本ブログでも11ページの、2015年2月26日にて、不思議な感覚と紹介いたしました、所謂正月前の年内節分となります。
基本的に明治6年に正式にグレゴリオ暦が採用される前の、太陰太陽暦では19年に7回という頻度で閏月を加えるために、節分・立春を年末に迎えることがあるわけです。

立春は所謂24節気の一つであり、始まりとも言われています。
元々が太陰暦では季節の変化が捉えられずに、農業のようなある一定の温度やその他の気候条件が指標となる作業には使えなかったことから、太陽運行を元に作成されたのが、24節気であります。

以前のブログにも書いたように、おそらく黄河中流域の山東省辺りの季節感で、諸説ありますが、殷・周時代には1年の始まりが冬至であったことを考慮すると、既に一部は成立しており、太陽運行と農事を徐々に取り入れて、戦国時代(中国の春秋戦国)に徐々に今の言葉と、形になったように思われます。
日本には恐らく百済経由での飛鳥時代でしょうか。

元々は季節の一巡りを、太陽の運行(天文)の観測に併せて、冬至・夏至(二至)。更に春分と秋分(二分)が誕生し、その中間を四季の変わり目という意味で、立つと称して、立春、立夏、立秋、立冬(四立)としました。
つまり、冬至と春分の中間点として春の最初の節気(おそらく正月のイメージ)として、立春と名付け、それが各四季に冠せられたようです。
この八節が、天文由来の重要な節気であり、その他の中気などを含めて前漢の准南子には既に全ての記述があり、戦国時代を通じてこの辺りで成立したのでしょう。

上記の八節以外は、多少日本との温度差があるのは、大陸内部と海洋温帯気候の日本との違いによるものが多いと、うっすらと思っておりましたが、最近2008年と10年ほど前の気象学会の石原浩司氏の文章で、黄河中・下流域の付平均気温と、ほぼ同緯度の水戸及び、寒暖の差のある宮崎、石巻との比較を主題材にしたものを読んで、納得という感じでした。

黄河中・下流域の4都市鄭州、西安、運城、安陽では温度、分布共に大きな違いは無く、大暑に最高温度(1971~2000年平均値)に達し、大寒に最低気温に至りました。
対するに水戸、石巻では立秋(8/7)から処暑(8/23)にほぼ横ばいで最高気温となり、大寒(1/21)頃に最低気温となっています。安陽などと水戸との最高、最低絶対温度の差は最高温度で5度高く、最低温度で4度程度低くなっています。

他のイメージでは、芒種即ち種まき時季に関しては、日本の寒冷地でも遅すぎる感は否めないですね。

さて、節分。雑節の一つで、各季節の始まりの日である(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、元々の意味は「季節を分ける」ことから。江戸時代以降は特に立春の前日を指すことが主流となりました。

昨今恵方巻きなる習慣が一般的になってきていますが、これは元々江戸末期から明治にかけて大坂船場で商売繁盛などを祈願して、発祥したとの通説がありますが、これは一旦廃れ。昭和50年代に大阪海苔問屋共同組合と、すし屋関連団体の連携で、復活させて販売促進運動をはじめ、1977年頃から関西で広まったようです。

昭和60年頃に半年ほど芦屋の会社の寮にお世話になっていた時に、近くのダイエーの売り場に山盛りの海苔巻を見て、読み物では知っていた(小林信彦氏の唐獅子株式会社シリーズ)けれど、本物のその勢いをみて驚いた記憶があります。

その数年後の平成にいたり、コンビニや大手スーパーがイベント食として売りはじめ、今日の盛況となったようです。
いわばバレンタインデーのチョコレート同様の、業界の陰謀ですな。
海苔巻は子供のころから、運動会や遠足のお弁当として普通に好きです。作るとなると結構手が掛る食物であることは間違いなく。従って特別な日に食することには全く嫌も応も無いのですが、太巻き1本をいっぺんにといわれるのは、少々苦痛かもしれません。

さて、今週日光方面に参りまして、朝の日光道の桜やケヤキの枝に夜半に降り積もった雪が、まるで満開の花のようでした。季節の便りと致します。
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