前回の続きです☆
古事記表記の「倭建命」
熊襲、出雲を平らげさらに、アズマエビスを鎮める為に天叢雲の剣で草を刈って
そこの地名を焼津にしちゃい、ついでに剣の名前まで草薙にしますと大活躍。
そうそう、地名の東(あづま)の由来についても、
相模(神奈川県)から上総(千葉県)に渡る
(因みに東海道の古代旅程はこちらが正当なルートであります)
走水航路で暴風雨に際し、自ら人身御供として海中に身を投げた后、
弟橘姫を蝦夷を平らげた帰路に、碓日峠から遥か走水の海を望み
「吾妻はや(ああ、わが妻は...)」と三度唱えて
以降東の国をあづまと言うようになったとの伝説☆☆
にしても、伊吹の神様(火の神様ですね~)を平らげに行って、その毒気に当たり
(氷雨で風邪をこじらせた??)最後になくなった所が、能褒野であります。
その前に「わが足三重のまがりなす」と嘆いた所が、
三重と言う地名を残しております。
さらに 続く
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |