☆ヤマトタケル☆2 | 株式会社古河電工アドバンストエンジニアリング
2012年08月28日

☆ヤマトタケル☆2

前回の続きです☆

古事記表記の「倭建命」

熊襲、出雲を平らげさらに、アズマエビスを鎮める為に天叢雲の剣で草を刈って

そこの地名を焼津にしちゃい、ついでに剣の名前まで草薙にしますと大活躍。

そうそう、地名の東(あづま)の由来についても、

相模(神奈川県)から上総(千葉県)に渡る

(因みに東海道の古代旅程はこちらが正当なルートであります)

走水航路で暴風雨に際し、自ら人身御供として海中に身を投げた后、

弟橘姫を蝦夷を平らげた帰路に、碓日峠から遥か走水の海を望み

「吾妻はや(ああ、わが妻は...)」と三度唱えて

以降東の国をあづまと言うようになったとの伝説☆☆

にしても、伊吹の神様(火の神様ですね~)を平らげに行って、その毒気に当たり

(氷雨で風邪をこじらせた??)最後になくなった所が、能褒野であります。

その前に「わが足三重のまがりなす」と嘆いた所が、

三重と言う地名を残しております。

さらに 続く


計測器校正サービス
スマートフォンからもご覧いただけます。
メールでのお問い合わせはこちら