ブログ | 株式会社古河電工アドバンストエンジニアリング - Part 2
2018年06月01日

アイリッシュウィスキーの一滴

6月の旧暦呼称の水無月とはほんに優しい、月の名でございます。グレグリオ暦の現在では6月といえば雨期、梅雨のシーズンですが旧暦の太陰太陽暦では7月中旬の夏真っ盛りの季節であり、したがって雨の降らない水無月でそのギャップはなかなか面白い。

カラッと暑い季節には、のどを潤すビールというのが、大人の楽しみ。家庭用の冷蔵庫が発達していなかった、幼少期に父の帰宅を待って、井戸端で冷やされていたビールを注いだグラスの泡のなんと魅力的であったことか。
泡を子供に舐めさせて、その苦さに顔をしかめる表情を見て、愉快そうな父や祖父の表情を思い出す夏の到来であります。

「取り敢えずビール」がポピュラーな居酒屋でのオーダー言葉になったのは、何時頃でしょうか。
最近大人に仲間入りした世代は、ビールを飲まない、いや宴席に顔を出さないとも聞いています。アサヒがかのドライ方式で最初の一口目の喉に非常に刺激的なタイプを販売する前から、渇いたのどには炭酸の刺激が心地よい夏の風物詩だと思います。

といいながら、夏の火照りを残したアスファルトの道を、ビールで潤し焼き鳥で口中が脂っぽいまま帰宅する(出張中のホテルでも)のは、少しもったいない夏の宵。

以前も記しましたが、日本のオーセンティックな街中のBARのレベルは高く、ちょいと飲み足りない胃と、感性には上等のお酒と上質のバーテンダーさんの癒しが嬉しい。ちょっとだけ、お邪魔するこれも夏の楽しみ。

さて、1杯目はロングドリンクで口中の脂を落として、もう一杯は少しきつめのショートドリンク。その後はわたくし、ウィスキーで仕上げる。

前置きが長くなりましたが、今回はウィスキーのお話。
元々のWHISKYの語源はアイルランド語の uisce beathe(命の水)が由来とか。英国王ヘンリー2世のアイルランド遠征に際し、アイルランドの蒸留酒がイングランド兵によりushkyと伝えられ、更にWhiskyに転訛したとのこと。

あたくしの最近の好みはこのアイルランド原産のアイリッシュと呼ばれるウィスキーです。

我々が学生時代、まだ1ドルが360円であり、酒税法が幅を利かせており、もっぱら国産のウィスキーがコンパの主役でした。初任給が4万程度の時スコッチブレンデッドウィスキー、ジョニー・ウォーカー黒ラベルが1本1万円と、高値の花の代表みたいなものでした。

その後日本の円は相対的にひどく高くなり、酒税も代わり、それなりに所得も増え少しだけ背伸びすれば、12年熟成程度のスコッチウィスキーは飲める範囲になり、日本のBARのウィスキーの品揃えも相応になりました。

サントリーオールドから、リザーブといった銘柄がスナックのボトルキープの主役となり、更にスコッチに。その後バブル崩壊もあり、ウィスキーの受難が始まり居酒屋から、スナックでさえ酎ハイに負けてしまった経緯があります。
その時期に仕込む量が大幅に減少したこともあり、最近のハイボールブームと、NHK朝ドラマと相まって国産ウィスキー人気銘柄の、原酒不足による販売中止のニュースが飛び交っています。

さて、世界の5大ウィスキーというのがありまして、スコッチ、アイリッシュ、バーボン、カナディアンそしてジャパニーズとされております。ジャパニーズが言い出したような気がしますが、最近の日本のウィスキーは確かに人気が高い。

コマーシャルセンスに関しては(山口瞳、開高健両氏を生んだ)、元々国内でも何度も広告に関わるコンペで受賞している相当のレベルで、内外の各蒸留所の買収やら、シェリー樽の買い占めを含め、グローバルにも話題の多いかの会社を筆頭に、確かに品質も個性も十分に5大といえる風格にはなっているのは間違いないとは思います。

伝説はいろいろとあるようですが、アメリカの禁酒法以前の時代には、アイリッシュウィスキーが世界シェアの60%程度を占めていたのは間違いないようです。

18世紀の2000ほど乱立の小規模蒸留所が淘汰、統合により1880年には28が稼働していましたが、1919合衆国禁酒法が実施され、大幅な生産縮小と蒸留所の閉鎖が相次ぎます。
禁酒法そのものに加え、密造酒にアイリッシュのラベルを貼られて、品質上の評判を落としたことも挙げられるようです。

更にアイルランド内戦、現共和国の独立によるイングランドの植民地からの意地悪な締め出し、極めつけは第二次大戦で中立を保持し、アイルランド国内での供給確保のための輸出制限を受け、ヨーロッパ戦線の米兵にはスコッチが配給され、これらの兵士たちが合衆国帰国後も慣れ親しんだスコッチをセレクトしたことで世界(合衆国の影響は当然高い)シェアを大きく落とすことになりました。

スコッチとアイリッシュの最も大きな違いは、勿論一部に例外はありますが、モルティングにビート(泥炭)を使用するか否かとなります。
つまり、大麦を発芽させてモルト(麦芽)に変えることをモルティングと呼び、その過程でビートではなく、石炭や木材が使われるのがアイリッシュの主流となります。そのために原料の穀物(麦芽と大麦やライ、小麦等)の芳醇な香りが引きだされることとなります。

スコッチのモルトウィスキーの特性である、あのスモーキーと呼ばれる(正露丸のような)香りの元がビートによるものであります。
更にアイリッシュのもう一つの特性は、単式蒸留機による3回の蒸留が主流とであることです。
3回蒸留の理由としては、原料のライ麦などによる穀物臭(フレーバー)を飛ばすために複数回にし、更に生産性を高めるために巨大な蒸留機を使用するようになったとの説が有力です。
この蒸留回数が多いことにより味わいも滑らかになります。

このアイリッシュウィスキーはアイルランド共和国及び、UK(グレードブリテン及び北アイルランド連合王国つまり英国)の北アイルランドが産地となりますが、アイルランド共和国の1980年アイリッシュウィスキー法により、細かに且つ厳格に規定されております。

発酵が同地域におけることや、蒸留も同地域なのに加え、木製の樽により同地域内倉庫にて3年以上の熟成などの条件が規定されています。

製造方法や、同法に更にご興味のある方はWikipediaにてご確認ください。

このように定義されているアイリッシュウィスキーですが、市場には大別して3種類のタイプが出回っています。
まずは大麦麦芽と未発酵の大麦やオート麦を原料として、単式蒸留機にて3回蒸留を行う「ピュアポットスティルウィスキ―」
大麦麦芽(モルト)のみを原料とし、単式蒸留機にて2乃至3回の蒸留回数の「ピュアモルト」
トウモロコシ等の原料で連続式蒸留機により蒸留される『グレーンウィスキー』や何種類かの上記にブレンドして出荷されるブレンデッドウィスキーの3種類です。

製法によることもありますが、アイリッシュをウィスキーの入門と表現されるバーテンダーさんの多いのは事実です。
スコッチのシングルモルトや、ブレンデッドに比べると、香りが華やかで癖が無く、バーボンほどの甘ったるさも無く、カナディアンほど淡泊過ぎないし、ジャパニーズほど高くもない。所謂飲みやすさという点と、コストパフォーマンスでもそれほど高価ではないという点でも。

アイルランドではこの味わいの性格から、ストレートのショット飲みが主流です。水割りやロックだと、この味も香りも抜けて個性が無くなります。

でもあえて、刺激を避けてまろやかな味わいを楽しむために、ツワイスアップという、お酒と同量の水を加水した飲み方がわたくしの好みです。

バーも宜しいですが、アイリッシュパブでは主要な日本で出回っているほとんどが揃っておりますので、ビール以外にもお楽しみになっては如何でしょうか。

さて、日本で楽しめる銘柄を上記の大別ごとに少しだけご紹介しましょう。

ブレンデッド
 ・ジェイムソン(Jameson:ミドルトン蒸留所)
 ・タラモア・デュー(Tullamore Dew:ミドルトン蒸留所)
 ・ブッシュミルズスタンダード(Bushmills :ブッシュミルズ蒸留所)
 ・ブラックブッシュ(Black Bush:ブッシュミルズ蒸留所)
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  いずれもアイリッシュの飲みやすさを備え、コストパフォーマンスにも優れたボトルです。
  私の好みはブラックブッシュかな~。

ピュアポットスティル
 ・ジェイムソン・ピュアポットスティル(Jameson Pure Pot Still:ミドルトン)
 ・グリーンスポット(Green Spot:ミドルトン)
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  1口含むと、思わず「美味しい」と声に出るような、口当たりの良いウィスキーです。
  少し高いけれども、有名なブレンドスコッチくらいで購入できます。
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シングルモルト
 ・ブッシュミルズ(10年16年21年)
 ・カネマラ(Cabbemara Peated Malt :Regular・12年:クーリー蒸留所)
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  ブッシュミルズは10年が入手しやすいようで、他は試したことはございません。カネマラはビートを使ったモルトが特徴であるアイリッシュ唯一の銘柄です。個性的でそれなりに美味しいお酒ですが、スコッチのシングルモルトとの比較だと、あえてセレクトは難しいかもしれませんが、人気はそれなりにあるようです。


2018年05月11日

ヤマトタケル① 陵墓編

前回から1ヵ月以上空いてしまい、連休を挟んですっかり初夏の季節になって参りました。
少なくとも花粉の量は少なくなっているようです。
お約束のヤマトタケルのお墓と神社のお話。

本BLOGでも私どもの三重支社付近にございます能褒野陵が明治になって、正式に教部省通達としてヤマトタケルの陵墓として認められたお話はさせて戴きました。

ヤマトタケルについては、古事記と日本書紀では微妙に異なったキャラクターや物語が展開されています。本名はいずれも小碓尊(おうすのみこと)で書紀では第2子で双子の弟の方。古事記では第3子で双子の記述はありません。
熊襲猛からヤマトタケルと号を献じられた表記からして書紀では日本武尊、古事記では倭健命と異なっております。

最も異なるのが父である景行天皇との人間関係です。古事記では熊襲征伐前に殺してしまった同母兄大碓尊が、書紀では東征前に怖気づいて逃げてしまい、代わりにヤマトタケルが立候補し、景行天応から最大の賛辞と皇位継承の約束を与えられます。
対して古事記では熊襲、出雲に重ねての東征に、悲嘆するヤマトタケルが描写されます。

最期は伊吹の山神により能褒野にて亡くなるのは同様ですが、古事記ではかの有名な国偲び歌 「倭は国のまほろぼ たなづく青垣 山隠れる 倭し 麗し」から4首の歌を辞世として詠じて亡くなるのですが、書紀ではこの歌は父である景行天皇が九州平定の途中で、日向にて詠んだとされております。

その後尊は白鳥となって飛んでいくのですが、古事記では伊勢を出た後河内の志幾に留まり、やがて天に翔り行ってしまうの対し、書紀では能褒野から大和琴弾原(現奈良県御所市)、更に河内古市(大阪府羽曳野市)を経て天に翔ることになります。その後この3か所に陵墓を造り、天皇は武部(建部・健部)を日本武尊の御名代としたと説明しています。

現在宮内庁はこれらの陵墓を能褒野墓と、白鳥2陵の3か所を既述の三重県亀山市。更に奈良県御所市のかっては権現山と称された長方墳と、羽曳野市軽里の5世紀後半築造とされる前方後円墳「軽里大塚古墳(前の山古墳・白鳥陵古墳とも)」を治定しています。

延喜式の諸陵式においては、記述があるのは能褒野墓のみで、所在は伊勢国鈴鹿郡となっており守戸3烟を付す、即ち御陵番として陵の守護、清掃に3戸分の人件費を朝廷が賄うことになっていたということです。元々陵とは天皇、皇后の墓を指す表現であり、ヤマトタケルの実在性はともあれ、大和朝廷として実際には天皇に準ずる位置づけをされていたようです。

記紀のヤマトタケルには、いくつかの歴史的な出来事や、それに基づく地名の由来が語られていますが、前後の天皇の事績が特に熊襲征伐についての重複が見受けられます。4世紀から7世紀にかけての大和朝廷側の何人かの英雄談を、ヤマトタケル伝説として創出していきそれに伴い、能褒野墓を造ったと考えるべきかと思います。
持統天皇5年の詔に有功の王の墓には3戸の守衛戸を設けるとあり、この頃は古事記、書紀の編纂の時期と重なっていることもあり伝説を史実とするために、墓を特定し守護までも付けたのでしょう。これは10世紀くらいまで継続されていたようです。

白鳥陵のうち大和のそれは明治9年に、河内の方は明治8年にいずれも教部省により指定されましたが、河内の方は明治13年に現在の陵に改定されております。現河内白鳥陵は河内国陵墓図では木梨軽太子の軽之墓と記されています。

ヤマトタケル② 祀る一宮に続く


2018年05月11日

ヤマトタケル② 祀る一宮

さて、神社の件。
ヤマトタケルを主神とする一之宮は2社ございます。
まずヤマトタケルの後裔とされる氏族として挙げられるのは、以前北近江散歩で紹介した犬上氏(君?朝臣?)と建部氏(君・朝臣)、近江建部氏、和気氏(公)等であります。
犬上氏、建部氏ともに、ヤマトタケルの妃、垂仁天皇皇女とされる両道入姫皇女(ふたじいりびめのひめみこ)の子とされる稲依別王(いなよりわけのみこ)の後裔とされます。
同母弟に第14代仲哀天皇があり、同じく同母弟に稚武王(わかたけるのみこ)があって、近江建部氏、宮道氏の祖とされます。

この建部氏の祀るのが近江一の宮の建部大社でございます。
その社伝によれば、ヤマトタケル死後、両道入姫皇女が稲依別王と共に住んでいた(神勅によるとの説も)神埼郡建部郷(現東近江市五個荘付近の箕作山)の地に、ヤマトタケルを建部大神として祀ったのが創建とされるそうです。
天武天皇4年(675年)に近江守護神として、現在地(大津市瀬田)に遷座され元の山麓には建部大明神を経て建部神社が建てられています。

もう一つが和泉一宮の大鳥神社で、おとりさまの熊手で有名な、全国に展開する鷲神社をふくめた、大鳥神社の本宮であります。
延喜式神名帳に名神大社として記され、本殿の大鳥造は出雲大社造に次ぐ古い形式といわれています。

祭神は日本武尊と大鳥連祖神。実は中臣氏の祖神でもある天児屋根命と同じで、元々は大鳥氏の氏神であったものが、大鳥という名称と日本武尊は死後白鳥となって飛び立ち、河内に降り立ったという神話と結びついたと想像されます。

社伝によっても大和琴引原で留まり、更に飛び立って河内古市郷に降り、最後に大鳥の地に舞い降り、その夜に一夜にして樹木が生い茂り、千草の森と呼ばれたことから、その地に社を建てて祀ったとされています。
この大鳥連は代々本社の神職を継いでいきますが、摂関家の番頭であった程度しか記録が無く、中央豪族としての活躍も明確ではなく、かといって和泉の地は機内にあり、研究対象としては面白いかもしれません。

直接ヤマトタケルを祀っている訳ではありませんが、熱田神宮も尊に関係の深い神社ではあります。三種の神器の一つ、草薙の剱であります。
元々は素戔嗚が倒したヤマタノオロチの尾から出てきた神剣であり、天照大神に献上され、天孫降臨に際して賜り地上に還ったものです。
ヤマトタケル東征の前に伊勢の倭姫より賜り、焼津の地方名の由来にもなった、火をつけられた野の草を薙いで防いだところから草薙と名付けられました。伊吹の神への対決を前にこの剣をミズヤ姫(尾張氏)の元に残していったために、神の祟りを受け亡くなったともいわれております。

その後熱田神宮に社を建てて祀られておりましたが、天智7年に僧、道行に盗まれ取り返されたうえで宮中に置かれましたが、天武帝の病気がこの剣の祟りと判り、再度熱田神宮に祀られることとなり、現在に至ります。

ヤマトアケル③ アズマの神社に続く


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